ようやくリボトリールから離脱。次はアルコール
ようやく離脱症状が収まりました。
次はつい手が伸びてしまうアルコールを断つことを考えています。これはまだ離脱症状などは出ていませんが、今のうちに距離を置かないと酷いことになりかねないので…。
酒は一見善良な嗜好品ですし、その嗜好品にまつわる文化も尊いものです。しかし酒は嗜好品であると同時にヘロインと肩を並べる非常に危険な麻薬でもあります。なので飲酒は週に一回以下にしないと、いつか大きなツケを払う羽目になりそうです。
最近は調子が良ければ、ご飯に味噌汁をそえるようになりました。昔は味噌汁なんて要らないと思っていましたが、こころなしか懐かしい気がして落ち着きます。
たまに外出すると外が想像以上に明るくて驚きます。もう夏でしたか。
コンサータを1年間飲み続けてみた感想
コンサータを1年間飲み続けた感想です。
コンサータの副作用の遷移
頭痛
1ヶ月くらいで薬そのものに起因すると思われる頭痛は解消された。
肩こりや低血糖に起因するものは現在もあるが、これは薬の副作用というより生活習慣の問題だと思う。
胃痛
これは2〜3ヶ月くらいで解消された。
コンサータは十分な食事の後に服用することでこの不快感を軽減でき、より良い効果を得られると思っている。
便秘
- これは食事量の低下によるものだと思う。私の場合は十分な食事量によって解消された。
コンサータが効果が有用に感じる場面
突発的な衝動(怒りやその他の欲求)に対して冷静に対応する必要がある時。
- 作用下では癇癪を起こすことがなくなりました。
本など長い文章を読む必要がある時。
- コンサータを飲むことによって、文章を読むことができる様になったので、これについては本当にありがたい薬だと思っています。
じっとしている必要があるとき。
- 頭の中でバチバチと跳ね回る自生思考の滝がだいぶ静かになるのでじっとしていることが多少楽になります。
コンサータの効果が邪魔に感じる場面
運動をする時。
- 運動をする時は大人しくする必要がない上に高揚感が阻害される上に、何かに抑え付けられている感覚もあり、さらに心拍数も無駄に上がる気がするので、この時だけはコンサータは不要です。
とにかく何かを全力で楽しみたいとき。
- 運動をする時と同じ理由です。
肩こりや腰痛など身体的な不快感があるとき。
心の底から絶望的な気分でなにもかもが嫌になっているとき。
- こういうときは寝てしまうのが最善だと思っています。
現時点でのまとめ
とても有用な薬だと感じています。
もしこの薬を飲んでいなければ、鬱と診断されたままデパスだけを飲み続けていたらどうなっていたか考えると恐ろしいです。
ただ、やはり薬を飲んでいても、まだ不注意や意思疎通などに問題があり、不適応を起こしてしまったという現実の問題は解消されていないので、これからどうしようか非常に悩んでいます。
生意気という表現はたぶん危険信号
漠然とした印象から「生意気」や「舐めている(あなどっている)」という評価をします。
上記を子供同士で言い合っているのであれば思春期特有の心象による、自然な傾向だと思います。
しかし、これを知識も教養もある成人が用いた場合、その人の精神状態はとてもケアを必要としていると私は思います。
休まらない心
フルタイムで働いていると心休まる時間すらなく、起床時間の大半を強いストレスにさらし続けざるを得ないことが多いです。
強いストレスに長時間さらされると、防衛本能とでもいうのでしょうか、些細な事柄について悪意の存在を疑い、チンピラが喧嘩を始めるような具合で怒りを生じさせ、更にストレスを増加させてしまうという悪循環。
ダンピングによって「当然」や「普通」や「常識」という言葉の水準が高く設定され、家族や住居を質に働くために生きるような生活を強いられ、この様な過酷な生活を送っても社交辞令ほどの敬意しか払われず、誰しもが辛いのは同じという諦めを良識としてしまう。
この様な負の連鎖があらゆる余裕をなくし、人を卑屈にさせ、豊かな物資の中で貧しさを感じさせる原因になっていると私は感じました。
経済成長も重要ですが、まずは習慣病を治さなければ志半ばで過労死してしまうのではないでしょうか。
1975年製の精神病院の映画「カッコーの巣の上で」
精神病棟が舞台の1975年製の映画。
患者か医療従事者、管理する側とされる側、ヒッピーと体制派のような当時らしい図の割に華やかさや自由はありません。
閉塞的な精神病棟にて、現実や自己嫌悪から目を背け、諦めきった彼らの口元が少し緩む程度の日常。
円満な死への道半ば過ぎといった雰囲気。
タイトルについて
邦題は「カッコーの巣の上で」、原題は "One flew over the cuckoo's nest." です。
これまた意味不明なのでググってみると下記の解説が見つかりました。 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
ネタバレ
主人公の”マクマーフィ”と、耳の聞こえないネイディブアメリカン”チーフ”。
この二人は病人の振りをして入院しています。
カッコーの托卵という生態と、本来いるべきではない場所に逃げ込んだ上記の二人をカッコーになぞらえているようです。
彼らは精神病院からの脱走を企てます。
その結果を "One flew over" と表しているようです。
内容から思ったこと
内容は、精神病の疑いがあるため刑務所に送られず、精神病院へ強制入院させられる主人公。
それをいいことに、主人公はあまり悪意も意味がない、怒るより先に呆れてしまうような悪事を繰り返します。 ※1
※1. 同じ精神病院の入院患者を全員脱走させてチャーターボートを無断借用し釣りに行く、院内の風呂場で賭場を開く、警備員を買収した上で女を充てがい酒を持ち込んでどんちゃん騒ぎ…など。
上記のいたずらはロクでもないですが、多様性や柔軟性どころか根拠すら持たない、患者の人権を軽視する治療方針への反抗ともとれます。※2
※2. コミュニケーションこそ精神病の治療に有効という考えこそ絶対的に正しいものとし、患者の「一人になりたい」という欲求を否定する。 患者に処方している薬の名前・薬効を開示しない。 触れてほしくない自身の問題点について強制的に公衆の面前で話させる…など。とても治療とは思えない治療を口実にした暴力という方が適切な有様。これらがまかり通った時代もあるのだから恐ろしい。近年であれば老人介護施設での老人への暴力などが近い事例ではないでしょうか。
序盤は割と朗らかな映画なのですが、終盤は悲惨です。
ここにはいない誰かが用意した選択肢の中に、”臭いものに蓋をする”というものが存在し、その選択によって生じた結果がどのようなモノだとしても、そこには欠片の罪悪感もない、分業化・責任の分散・思考放棄によって成り立っている現代社会にもありがちな ”しかたない” という言葉と虚しさを想起させる最後となっています。
残念ながら、この映画は1975年製にも関わらず話の内容はちっとも古臭くありません。
- 正気か否か?
- もし正気でないならばどう対処すべきか?
・・・など、最近になってようやく、まともな議論ができる様になった題材だからだと思います。
子育てや子供の叱り方なども同じような感じではないでしょうか?
ここ1世代程度の歴史しかない現時点での常識は、作中の病院の規則や治療方針と同じような問題点が多々あると私は感じています。
おすすめ?
正直、頭の病気などに関心のある暇人か誰か以外には全くお勧めできる映画ではありません。
しかし、その様な方は一度ご覧になってはいかがでしょうか。
さよなら、さよなら、さよなら。