舛添要一 リタリンに”麻薬”という汚名を着せ、2007年10月23日から2013年12月10日まで発達障害者の社会生活を脅かした”元・厚生労働省大臣”
舛添要一が辞任したこと大変喜ばしく思います。
一人の発達障害者として、”舛添要一”という為政者について思うところを書き連ねようと思います。
私が舛添要一を嫌悪している理由
処方箋を詐取しリタリン(メチルフェニデート)をかき集めて乱用する変質者の増加を理由に、2007年10月に厚生労働省はリタリンの適応症から”うつ病”と”成人の発達障害”を除外しました。
私はこの事件が起きた原因はリタリンという薬そのものではなく、同一人物があちこちの病院から処方箋をかき集めて必要以上に処方薬を入手できてしまう事にあると考えています。
そして今現在でも同様の手口で処方薬をかき集める事は可能のままだと思われます。この問題を解消しない限り、他の薬でも同様の事件が起こりかねません。
リタリンやコンサータなどメチルフェニデートを含む医薬品の流通は厳重に管理されているそうですが、本当にこのままで良いのか疑問です。
http://members.jcom.home.ne.jp/yutamana/contents/etc/yosinasi/yutanokoto/yuta1.html
この判断は日本国憲法第25条を無視し、2007年10月23日から2013年12月10日までの間、18歳以降に”発達障害”と診断された人を適切な薬の恩恵から切り捨て続けました。
当時の”発達障害”に対する世間の認識は現在よりも遥かに辛辣で無関心でした。
このアンサイクロペディアの記事の「国内でのADHD」という記事に当時の様相がとても簡潔かつ的確に記載されているので紹介します。アンサイクロペディアから引用などとふざけていると思われるかもしれないですが、これは真実です。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/注意欠陥・多動性障害
日本政府は成人のADHDに対してその存在すら認めすらしないという、一貫して「さっさと死ね!!」という大変ありがたい実に素晴らしい対応をなさっている。専門家が少なく、薬も治療法もないのに時間厳守で締め切り厳守、空気を読まないと生きていけない日本社会でADHDが生きていくのは大変な困難を伴い、ゆくゆくは首をつるか、服毒するか、豆腐の角に頭ぶつけるかして死ぬしかないのである。それが日本政府からのありがたいメッセージである。 アニメではのだめをはじめとして日本人でありながらADHDキャラクターが多く見られるが、作品内では幸せそうに見える彼女達も成人後ゆくゆくは日本政府の推奨する自☆殺をするのであろう。南無。日本におけるADHDへの対応は台湾や韓国どころか、まさかのイスラエルやタイよりも劣っているという素晴らしい現状である。先進国のなかでも独自の姿勢を貫き通しているのだろう。実に素晴らしい。
こんな世相の中、切り捨てられた発達障害・精神病疾患者は一体どの様な気持ちで日々を送ったでしょうか。
リタリン騒動の共犯者は厚生労働省の関係者や毎日新聞社を筆頭にしたマスメディアの関係者など他にも多くいます。
そのほとんどが罪の意識もなく現在も息をしていることでしょう。舛添もこの件については記憶すら持ち合わせていないでしょう。
厚生労働省への不信感
舛添が大臣で亡くなった以降も厚生労働省という省庁からの発表には違和感を感じることが多いです。
厚生労働省という省庁の任務は
国民生活の保障及び向上を図り、並びに経済の発展に寄与するため、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ることを任務とする
とありますが、リタリン騒動の時の判断がこの”任務”とやらに沿っていたとは到底思えません。
成人の発達障害者は存在しないという暴力的な見解を公的機関が示してしまった事による禍根は今現在にも非常に大きく残っています。
厚生労働省は精神科医の診療報酬に妙な制約を設けるなど、医学的な根拠などに基づいた判断というより、何らかの外圧や雰囲気や都合によって場当たり的な判断をしている様に思えます。
医師ではない公務員が治療方針になぜ口を出せるのかそもそも疑問です。医師免許をもった役人もいるのでしょうが公平な判断とは思えません。
適切か否かは成分と適応ごとにガイドラインに従うべきではないのでしょうか。それ以外の規則などわざわざ設ける必要があるのでしょうか?
他にも医薬品のインターネット通販を規制しようとしたり、学校の授業でおなじみの”ダメ、絶対”(http://www.dapc.or.jp/info/r.htm)など半世紀以上前のプロパカンダを医学的根拠のある情報として掲げていたりなど見るに耐えません。
もし、この"ダメ、絶対"の内容が真実であればグリーンラッシュに湧くアメリカは未曾有の大麻汚染にさらされ荒廃しているはずですが、そんな事はないようです。
大麻による税収はすでに酒税を上回っているそうです。それだけの量が流通しているにも関わらず過剰摂取による死亡事故のニュースもなく、展示会も兼ねたお祭りや、ワインやウィスキーと同様に品評会まで催されているとの事です。もう、どちらが嘘つきかは明白です。
大麻を取り締まることによって守られているのは国民の生活でも健康でも経済でもなく、非合法組織の収入源です。
自分が感じた違和感について調べれば調べるほど不信感が募ります。”類は友を呼ぶ”の法則で厚生労働省の内部も腐敗しているのではないかと不安になります。
最後に
規則を逸脱していなければ適切だ、という発想は今回舛添が糾弾された理由のひとつです。
この発想が正当性を持つためは規則が適切に設定されている事が大前提となります。
公務に私利を持ち込み、公利そっちのけで遊んでいる事を政治資金規正法を盾に正当化していた舛添要一は典型なアンチパターンです。
ザル法を盾に正当性を主張したところで、そんなもの納得されるはずもありません。裸の王様になるのがオチです。
昨今ではこのような駄々をこねる"大人"が多く、何を根拠に何を思いながら何をしたくて、そんな見るからにインチキな神輿を神妙な馬鹿面でなぜ担いでいるのかと見ていて呆れてしまいます。
もう少しマシな世の中になることを切に願わずにはいられません。本当に。