空想に耽る教育者
児童4人が骨折をしたニュースが発端となり、ここ最近では”組体操”が話題になっている。
私はこの”組体操”を肯定する、もとい独り善がりな思い込みと自己満足のために児童を危険に晒すことを肯定する人たちが不愉快で仕方ない。
上記の様な人たちは一度自身の骨を折ってみたら良い。指先じゃない腕や脚や胸郭骨をだ。
怪我をした時の痛みと、傷が癒えるまでの苦痛をしかと噛締めた上で、子供が同じ思いしたらどんな気持ちになるか考えてみたら良い。
子供にとっての数ヶ月前は、大人の数年間に近い。この間、邪魔なギプスや痛みに自身の行動を制限されることも考えたら良い。
よく「子供だからすぐに治る。」などと子供の怪我を軽視する大人もいるが、大人にとっての”すぐ”が必ずしも子供にとって”すぐ”ではない事も理解すべきだ。
更に骨折の箇所や度合いによっては手術が必要になる場合もある。一生消えない傷痕が残ることもある。大好きなスポーツができなくなることもある。
これらを踏まえた上で、「怪我をすることも経験だ、教育だ。」などと言えるのだろうか。
自発的な行動で怪我をしたのであれば、子供も何かしらを学ぶかもしれない。
しかし、誰かに強制させられた行動で怪我をしたとしたらどうだろうか、少なくとも私だったらまず猜疑心や敵意を抱く。もしかしたら教育陣もそれなりの報復を受けるかもしれない。
もし、もっと大人しく優しい子供だったら、痛みや理不尽を我慢し「自分が弱いのが悪かった。自分が耐えられなかったせいで他の子も怪我をした。」と自責の念を抱くかもしれない。
莫大な費用を掛けて大学へ行ったにも関わらず、子供相手にクダを巻いて精神論を振りかざしている様な奴が教師として収入を得ている様を私は知っている。
おそらく下記の記事の小学校の教師も同様である。「それでも私が組体操に取り組む理由。」と題してあるが、組体操に取り組んでいるのは生徒たちであり教員ではない。
下らない思い込みと空想に他人を巻き込んで悦に浸るのも、自分がしたこともない事を他人に強いるのも、人間としてやっていけない事だと理解し、なるべく生徒に関わらない様に教員生活を送り、可能であれば教職を辞する事こそ児童の将来にとって有益なのだと私は確信しております。