developmental disorder diary

24歳で発達障害が判明した人間による雑記です。感情的な痛みの訴求ではなく、なるべくどうしたら良いかを考えていこうと思います。生きづらいけど。追記:「Developmental Disorder:発達障害」よりも「Autistic Spectrum Disorder:自閉スペクトラム症」という呼称がより適切でした。

生意気という表現はたぶん危険信号

漠然とした印象から「生意気」や「舐めている(あなどっている)」という評価をします。

上記を子供同士で言い合っているのであれば思春期特有の心象による、自然な傾向だと思います。

しかし、これを知識も教養もある成人が用いた場合、その人の精神状態はとてもケアを必要としていると私は思います。

休まらない心

フルタイムで働いていると心休まる時間すらなく、起床時間の大半を強いストレスにさらし続けざるを得ないことが多いです。

強いストレスに長時間さらされると、防衛本能とでもいうのでしょうか、些細な事柄について悪意の存在を疑い、チンピラが喧嘩を始めるような具合で怒りを生じさせ、更にストレスを増加させてしまうという悪循環。

ダンピングによって「当然」や「普通」や「常識」という言葉の水準が高く設定され、家族や住居を質に働くために生きるような生活を強いられ、この様な過酷な生活を送っても社交辞令ほどの敬意しか払われず、誰しもが辛いのは同じという諦めを良識としてしまう。

この様な負の連鎖があらゆる余裕をなくし、人を卑屈にさせ、豊かな物資の中で貧しさを感じさせる原因になっていると私は感じました。

経済成長も重要ですが、まずは習慣病を治さなければ志半ばで過労死してしまうのではないでしょうか。