余裕がないことが諸悪の根源
いろんな側面で余裕があれば、もっと人が生きやすい世の中になるんじゃないかと。
5人が120%のパフォーマンスで働くより、20人くらいが30%くらいのパフォーマンスで働いて、各自が余暇に60%のパフォーマンスを費やした方が社会的に有益な結果に繋がる気がするんだけど気のせいかな。
会社は自社に提供される労働力にしか興味がないのは仕方ないけど、必須要素の一つに”文化”というものが存在している”国”という単位では無視してはいけない気がする。
”アニメ”が”サブカルチャー”の代名詞になりつつあるこの国。
それを悪い事と言う気は毛頭ないけれど、これは世間体と目先の利益ばかりに固執してきた”貧乏性”が招いた一つの結果であると私は思っている。
もしもっと人の感性や娯楽などを許容し尊重していたら、この通信インフラが過剰なまでに整ったこの国のサブカルチャーはもっと多様なものになっていたはずだ。
古い世代の価値基準の最後の役目は”潔く淘汰されること”だと私は思っている。
社会というものは下の世代が上の世代を上回らないと成り立たないものなので、既得権益を理由に下の世代の育成を阻むのであれば、それは社会から抹殺されるべき社会悪なのだと私は考えている。
安心して”挑戦”と”淘汰されること”ができる社会こそ、一側面では理想的なのかもしれない。